イノシシがご縁??デカンショと阿波踊りの意外な接点
篠山通れば・・・・・ |
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阿波踊りにも篠山のことが?! 阿波踊りは徳島で江戸初期から400年続いている日本の三大盆踊りのひとつに数えられています。陽気なリズムと踊りは、人の心を捉えて放さない日本一のお祭りといっても過言ではありません。 その阿波踊りの唄と丹波篠山のデカンショ節には意外なところで接点がありました。 デカンショ節には 「♪雪がチラチラ丹波の宿に ししが飛び込むぼたん鍋♪」 と いう一節があります。しんしんと冷え込む篠山で浴衣姿の旅人があたたかいぼたん鍋をつつく姿を連想させるこの節は、300以上あるデカンショの歌詞の中でも秀逸なものです。 イノシシがユーモアに登場する民謡はデカンショだけではありません。あの阿波踊りにも登場します。 「♪ささやまとおれば笹ばかり。イノシシ豆喰てホイホイ♪」 有名な紀行にも記述が 作家司馬遼太郎は「街道をゆく」の中の「篠山街道」の一節に 「阿波踊りの唄に篠山(ささやま)通れば笹ばかり、という唄があるでしょう、あの歌詞もここの民謡の歌詞が阿波へ流れたともいいます」と記しています。デカンショ節のイノシシが出てくる歌詞は比較的新しいものですので、歌詞どおしの関連があるとは思えませんが、「篠山」という地名がイノシシという言葉が加味され、つながっているいるのは大変奇妙です。 「ささやま」「豆」(黒豆)も出てくることから一般にはこれは丹波篠山のことを唄ったものと想像されます。なぜ阿波徳島の民謡に「丹波篠山」が出てくるのでしょうか。 これも作家の水上勉が「日本底辺紀行 8」で 「篠山通れば篠だらけ、猪豆喰うてホーイホイ。これは昔、篠山に住んだ蜂須賀小六の乾分野盗丹波太郎が、阿波に移封されるや、丹波栗と猪を思い出して、阿波踊りにうたったとつたえられる。野盗の蜂須賀小六だけではあるまい。篠山の牧歌的な雰囲気で年月を経た記憶があれば、どこへ行っても、懐かしく思い出されたに相違あるまい。」(原文のまま)と理由を記していますが、史実かどうかは不明です。 蜂須賀家つながり・・・ 篠山と徳島が蜂須賀家つながりであったのは史実です。篠山藩の古文書にも蜂須賀家の名前が多数見られます。青山家の家老を代々勤めたのが蜂須賀家です。1988年の「徳島市政だより」に詳しく調べられています。もともと尾張にあった蜂須賀家は、宗家が篠山に分家が徳島へと分かれることになったとあります。 なお、慶長14年(1609)、篠山城築城にあたって蜂須賀家は加藤清正や福島正則ら豊臣恩顧の大名等とともにその役についています。 阿波踊りの起源についても諸説ありますが、昔からある地域の民謡をベースにときの権力者蜂須賀氏の影響も加わって形成されたと見るべきでしょう。「篠山通れば」の一節は、徳島の蜂須賀氏が遠く篠山を想って唄ったものと思われます。 なお、この「篠山」が愛媛県と高知県の境にある「篠山」ではないかと考える人もいます。篠山市は、この山の所在地である愛媛県愛南町や高知県宿毛市と姉妹都市や災害相互支援協定を結んでいるのですが、これも篠山という地名がご縁になっています。
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